日本のお線香|淡路島、江井の街並を歩くとどこからともなく良い香りが漂ってきます。兵庫県にある淡路市は、日本一のお線香お香の生産地。日本のお線香とお香は淡路島が本場で特産品なのです。
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日本のお線香やお香といえばお寺が多く、販売しているお土産屋さんやお寺の多い京都市や大阪の堺市と思いますが、美しい自然に恵まれたお香の街は兵庫県淡路島の西海岸(瀬戸内海側)のほぼ中央に位置し、歴史を感じさせる国生みの神話で有名な伊弉諾神宮が鎮座します、花とオレンジと新鮮な魚類と淡路牛、生産高日本一を誇るお香と線香の街である。
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その生産量は、全国線香協同組合の生産量でみると日本全国のお線香7割を占めています。
お香の歴史は古く、わが国へは仏教伝来とともにインド、中国から伝わってきましたが、お香の起源はそれより前の推古三年(595年)に、淡路島の漁師が流れついた流木を燃やしたところ、すばらしい香りがたちこめたので、帝に献上したという伝承が日本書紀に記されています。
現在でもその沈香木が流れ着いたとされる場所を祀る枯木神社には香道や茶道の先生方が生徒を連れて毎年一年に1度感謝を込めてお参りするといいます。
平安時代の貴族や中世の武士の間にも、衣服や甲胄に香をたきしめる風習がありました。
ことに、室町時代には、香りの芸術として香道が生まれ、お香は私たちの生活になくてはならないものとなりました。
江戸時代に淡路島で線香が作られるようになってから、その普及はめざましいものがありました。
大陸から伝えられた線香の製法を見事に完成させたのも淡路島の人々の技法でした。
線香の誕生は、原料の改良をと製法の進歩により、香が大衆のものになったことを意味します。
お香をたき、神仏をまつることは、わが国の家庭にかかせない美しい習慣です。
仏教では、お香のかおりは悪気をはらい心身を清浄にするものとされています。
名香のかおりただよう部屋で、静かなひとときを過ごすのも現代生活にふさわしいものといえましょう。
特産線香は嘉永3年(1850年)淡路市江井の田中辰造が泉州堺で線香製造の技法に接し、
その将来性を期して、熟練職人と伴って帰り、原料の「杉葉粉」を阿波より購入し製造を始めた。
当時江井は、徳島藩の海上警備の重要な基地であったので、軍関係の建物や船舶があって、そのほとんどが九州の長崎、平戸と兵庫、堺との交易に従事していたので、その製品の大部分が九州に販路をもち、原料も長崎通いの船で運んでいた海運業で栄えた町が江井。江井浦といわれる(一宮町江井桃川(ももがわ)村の北、海に面する浦。「えぶら」ともよばれた)この地に線香製造がおろしたのには、
@気候が適していたこと
A立地条件が良かったため、原材料の搬入と製品輸送に便利であったこと
B良港を有しながら季節風で出漁できないために、必然的に線香は女性の内職など家内工業を生みだしたこと。
C漁家の婦人、 農閉期の副業による安価な労働力が得やすかったこと
などの背景が大きく影響して発展した。明治初期に「久盛香」「藤田香」として製造販売するようになってから地盤も固まり、広く各地に知られるようになった。
大正初期には魚水友吉がこれまで使用していた杉粉をやめて、宮崎県近辺特産のタブの木の皮を製粉したホン粉を使用して香料入線香の製造を始め、品質向上と生産増加で販路を拡大した。
戦後一時減退したが、大メーカーの進出と相まって全国有数の線香産地として発展し、全国生産量の7割を占めるという線香の街となった。
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